「酷吏」と「宦官」

何だか、某三國志アプリで「酷吏」を悪者扱いでしたが、ちょっと待って欲しい。

酷吏は「酷い官吏」の意味じゃない。抑の意味は「法律に厳しい役人」や「君主に絶対服従」の者のことです。この二つの要素を兼ね合わせた役人が「酷吏」と呼ばれる人々です。

例えば、昔の中国では「同郷」という存在は大変大事にされました。「同郷」の者は家族も同然のような風があり、普通の人はそういう関係にあれば人情をかけてあげたのです。

ですが、「酷吏」に「人情」という言葉は皆無です。彼らは、法律に違反すれば、同郷だろうが、肉親だろうが関係ありません。叩きまくります。だから悪い奴、と思われがちですが、これは逆に言えば「公平」の極みであるのです。よくありませんか?自分と友人で同じ悪さをしても、友人の方は怒られないのに自分だけこっぴどく怒られる。それを心から何とも思わなかった人は居ないはずです。

彼らはそういう不公平を一切許しませんから、例えば、当事者と共謀者、何かあったときは法律に反している限り、二人共徹底的に罰を与えられる。そう考えたら、「酷吏」を「残酷な奴だ」「無慈悲な酷い奴」などと言うことができましょうか。

そういう扱いをするときはよく考えることです。今となっては、確かにそう思っている人がほとんどかもしれませんが、知っている人にとっては必ずしもそうではないのです。私は寧ろ「酷吏」は居ても良いと思います。無論、今の世にこそ、必要なのかもしれませんが・・・。


一方、「宦官」もまた酷い言われようですね、まぁ、こちらはある意味仕方ないんですが・・・。
抑宦官が就任と共に性器を切り落とすのは何故でしょう。当時、体の一部を失う、特に男性が性器を失うというのは、最も恥ずべきことだったのです。しかし、彼らはそうなることを承知で宦官になる。

何が言いたいか。曹操様は、宦官に肯定的でしたが、「宦官が悪いのではなく、彼らの扱いかたを知らぬ君主が最も悪いのだ」と、そうおっしゃっていたこともあったそうです。つまり、彼らの一種の「背水の陣」とも言えるこの行為を逆手にとって、君主が彼らの監視をしっかりしなくてはならない。逆に、そうすれば必ず彼らは忠実な家臣としてしっかり働くようになるのだ。そう言いたいのです。

例えば、「あいつを殺さないと自分が殺される」という境地に立たされたら、あなたは自分が死ぬか、ターゲットを殺すか。どちらを選択するでしょうか。自分が死ぬ選択をする人も居るかもしれませんが、保身的な彼らにそんな選択肢はまずありません。

つまり、必ず「仕方ないからターゲットを殺す」選択に走ります。この心理を利用するのです。
宦官は扱いかたを間違えれば百害にしかなりません。ですが、正しい扱いかたをすれば、彼らほど心強い見方はいません。


是非今の世に置き換えても、この二つの官吏については考えてみるべきではないでしょうか。