諸葛亮は軍師?

諸葛亮に関して一般に言われるイメージというのはどんなものでしょうか。皆さんも思ったことはありますでしょうか。ちなみに私は初めから思ったことはないので何とも言えませんが・・・。(笑)

一般的なイメージとしては「稀代の天才軍略家」なんていう肩書きを聞きます。確かに演義諸葛亮は正統化されてるだけあって凄まじくそういう体で書かれてますよね。正史で司馬懿を始めとする司馬一族がやたら悪事を記されずに美談が多いようなものです。
しかし、本当にそうでしょうかね?今現在となってはそう思う人は少ないかもしれません。だがしかし、それはマニアの世界の話。

彼は確かに凄腕でした。違う意味で。私が開いている非公式サークル的な集まりの中では、「知れば知るほど嫌いになる男」と言われてますが、まぁ間違ってはいないよね?って正直思ってます。
結論から言えば彼は軍略家とは言えないよねって話です。ただ、軍略家という単語にどのような定義を付けるかによって変わりますよね、彼の場合・・・。

 まず、彼は短期決戦はとてつもなく強かった。それは、豊富な策略の知識を得ていたからです。ただし、策略とは短期決戦の為にある模範のようなもの。ですから短期戦には有効です、短期戦にはね・・・。

 そしてもう一つ、彼の最大の武器は政治手腕ですね、あの人心掌握術ですよ。民も他の将兵も、彼を心から信じ、そして指示に従いました。あれは今も過去も未来も関係なく見習うべきでしょう。

 ただし、ここからが問題。これもざっと二つ挙げましょうか。
まず一点目・洞察力が皆無に近い。これは致命的です。例えば、彼が気に入っていた将は誰でしたか?有名どころを挙げるとしたら馬謖姜維といった辺りでしょうか。でも、彼らは何をしましたか?馬謖は山に陣を張って街亭の戦いで魏軍に兵站を奪われて呆気なく大敗、諸葛亮の指示で処刑されました。
では、姜維は?彼は性格に難があったために諸葛亮の地位継承候補から外されましたが、彼は政治手腕も軍略も中途半端で、徒に北伐を繰り返して民に見放され自滅していきました。
 さらに余談ですが、彼は魏延が何故か「反骨の相がある!ダメだ!」と言いながら、何度か殺そうとしました。あんな忠臣を・・・。劉備がその点だけは聞き入れなくて最期まで重用してたから良かったけどね、彼が生きてる間は・・・。
法正さんなども一時期殺そうと企んでいたうようですね、彼の軍師としての才を惜しんでさすがに手は下せなかったみたいですが。
 
 そして問題の二点目。それは臨機応変さがない。つまり、長期戦などは滅法弱かったんです。おかげで嘗めてかかった挙句に陳倉の戦いでカク昭さんに負け、北伐も敵軍の援軍来着を恐れ突然撤退・・・。これは誰もが認めざるを得なかった。そう、正史の著者で諸葛亮を尊敬していた陳寿でさえ・・・。長期戦に弱い時点でちょっと軍師としてはどうよ・・・って思いますね。

いかがでありましょう、ここに載せたのはあくまで本当に基本中の基本知識です。皆さんの中の諸葛亮はどんな人間でしょうか。是非、客観的な視点で見ていただきたいですね。私は諸葛亮関羽だけはどうしても好きになれませんが、良いところはしっかり把握しているつもりですし、貶めようなどとは思っておりません。ですが、何事も、歴史を考える上では、やはりこういう冷めた目も必要だと思います。

曹操様に心酔しているとは言え、私は彼の長所も短所も分かっているからこその結論です。なので、皆さんも崇拝している人物、いらっしゃると思いますが、決して全てが素晴らしい、全てが正しい!などと言うことがないように気をつけましょう。