割と模範にされる将が多い時代なんです(笑)

三国時代って言うと、かなり武将の数が多いですよね。それに挫折する人も結構多いみたいですが、私にとっては戦国時代の方が人名覚えにくくて仕方ない(泣)

まぁそんなことはアレなんですけど、今回はですね、題の如く以外と思想学の分野で模範にされる三國志の人物が多いんじゃないかと思ったので載せました。


まぁ私が思想学と言ってるうちは「朱子學」だと思って頂ければ結構です。


まぁ私もそんなに朱子學に詳しいわけではないですが、卒論でやっている闇斎先生の引用も含めると大体5、6個ぐらいあるのかな・・・?


まぁそんな感じで三國志の人物って以外にそういう生き様の面で素晴らしいと思われる人が多かったんだよね。


演義のせいなのか知らないけど、現代にはほとんど知られなくなった影の名将・朱然とかは特にあれだよね、中国人にとってすごく尊敬されてたのがよくわかるよね。第一あれから1800年近く経つのに当時のまま墓が残ってるって・・・。彼だけですよ。彼の人望の高さが伺えますよね、これだけでも。

基本朱然は夷陵だけで役目を終えてあとは死を待つだけって感じにすら思っていたのに(笑)全然そんなことはなかった。彼はとんでもなくすごかった・・・。


そして朱子學に出てくる「方寸」の用語ですね。意味は「心」です。詳細はここでは本題ではないので書かないですが、とにかくそう言う言葉があります。

闇斎先生はこの言葉を三国志から引いてます。引用元はそう、悲劇の蜀?軍師・徐庶の言葉。彼が母を亡くした悲しみと共に別れを告げる場面にその言葉が出てきます。諸葛亮伝にあります、徐庶殿は列伝ないのでね。


あとは王経さんとかあった気がしますね。最期は司馬昭に処刑された文官です。彼は友人に謀反の協力を煽がれますが、拒絶します。挙句どうなったかといえば、謀反の計画が裏切り者によって司馬昭に露見し、詰問に掛けられます。にも関わらず、彼は友人の罪を否定し続けました。その義に適った行為が、却って司馬昭の疑心を深めてしまい、彼は処刑されます。こんな話だった気がしますね、彼は・・・。うろ覚えでごめんなさい。また調べ直しときます。


そんなこんなで、まだあったと思いますが、この辺で(笑)


朱子は特に南宋の人でしたから、朱然の名はよく知っていたのでしょう。彼のような精神で毎日過ごしていればあっという間に理は窮まり、敬は完成されるなんて言うぐらいですからね・・・。

本当に三國志は奥が深いです。知らないことだらけですね〜・・・。だからこそ楽しいんですが・・・。