良いように人格を変えられた魯粛

魯粛さんの名前を聞いたらどんな人物像が浮かぶでしょうか。


大概は演義に描かれるような、諸葛亮に良いように弄ばれてる苦労人軍師・・・。というイメージが強いと思います。
自分も初めはそうでしたし。特にかの有名な横●三国志魯粛さんの扱いは色んな意味でひどいです(笑)


ですが、これは違う。本当の魯粛さんはそう、某三國志ゲームに出てくるような、もっと豪傑のような肝の据わった人物なんです。



とは言え、正史の魯粛さんはこのように書かれていたと思いますので通な方々にとっては当然驚く程のこともないですが、知ってる程度の方はきっと殆ど知らないと思うのです。アニメや漫画の世界で三國志の正史に基づいて描かれている作品というものは殆ど聞いたことがありません。


蒼天航路とかはそうらしいですが。アニメはある程度観ても詳しく漫画を読んだわけではないのでまぁ私の口からは何とも・・・(笑)



とにもかくにも、魯粛さんのその肝の据わりようを例えるならばそう・・・あの軍神・関羽と真っ向から口で闘う程には肝据わってます。無論、一歩も引くことはなくです。



魯粛さんは、諸葛亮が言うより前に、天下三分を唱えたっていう話もありますが・・・実際そうなんですかね。諸葛亮劉備に天下三分を説いたのは207年のことですから、それより前ということです。確か、周瑜孫権に彼を推挙した時に、その話を孫権にしたんじゃなかったかな・・・。


うむうむ、違っていたらすみません、でも確かそうだったと思います。


そんな魯粛さんですが、彼の家柄は地主級ですので、大金持ち、セレブです。彼はボンボンですが、人当たりがとても良くて懐も大きかったそうですね。普通、今のセレブと言われる人たちは貧しい人に金を提供するなんてまっぴら・・・なんてことが寧ろ普通なんていうイメージが自分にはありますが、彼は良かれと思えば惜しみなく金を提供しました。


その為、彼の噂を聞きつけた周瑜孫策と旗揚げをする際に、魯粛さんに資金援助を求めた時も惜しみなく財産を提供します。そして二人の交友関係もそこから始まりました。


その件もあり、孫策が早世したあと、周瑜は空かさず魯粛さんを推挙し、孫権魯粛を喜んで登用、魯粛さんはこうして呉軍の一員として乱世へ身を投じることになります。



しかし、彼は長生きではないです。関羽最期の戦い・樊城の戦いの前年である218年に、すでに病によって死去しています。47歳でした。


演義によって何だか冴えない軍師というイメージを植えつけられてしまった魯粛さん。私の呉軍で一番好きな武将であります。演義魯粛さんも好きでしたが、本当の彼を知って一層好きになりました。そして、ちゃんと正史に則ってキャラ設定をしてくれた某三國志ゲームにはとても感謝してます。


何とも言えない部分もまぁありますが、その辺りは忠実にしてくれるからこれからも期待したいと思います。



そしてそして、話題は全然変わりますが、あと二ヶ月で某三国志ゲームの司馬懿を演じてくださっていた声優さんが亡くなってから一年が経ちますね・・・。早いものです。三月十日の夜十時頃には少しでも黙祷を捧げられたらなーと、そんな風に思ってます。

そしてさらに友人の事故死からはもうすぐ二年経ちます。彼女が亡くなったのは正確には一昨年の二月二十九日なので今年は正確な日にちで黙祷は出来ませんが、三月一日に時間を見つけて黙祷しようと思います。


まぁ、それよりもまずは卒業が出来るかどうかが問題なんですが・・・・。其の辺は私事なので(笑)