あの国に「正史」はない!!

例のあの国には「正史二十四史」と呼ばれる、国の正統な歴史を記したとされる歴史書があります。『史記』に始まるあれです。

でも、あれは決して「正しい歴史」を記しているわけではありません。あくまで「国の正当性を示すため」のものであって歴史学を見る上では参考にはしますが全てを信じてはならないわけです。特に各歴史書で「正統化」されている一族、及び人物に関しては注意をしなくてはなりません。


三国志』でいうと、よく魏を正統として書かれていると言われます。確かに、後に司馬氏が建てた晋王朝は元々魏であったわけですからそれは納得です。でも、あれはあくまで司馬一族を正当化しているもので、その中でも司馬懿を正統なものとして扱っています。


つまり、あの正史の中でも、いくらか隠蔽があるようです。司馬氏の悪行は実際は数知れません。彼らは自分に敵する者を悉く、徹底的に貶めてきた一族です。それもやり方がまた陰湿で苛烈。むちゃくちゃなことも普通にします。


兄の司馬師は父の司馬懿から家督を譲り受けて苛烈に基盤を固めるも、彼らへの反抗勢力によって致命傷を受けて数年で亡くなります。まるで孫策のような苛烈さだと個人的には思っています。


問題は弟の司馬昭です。彼はまぁ・・・いろんな意味ですごいね。ただ彼は何がすごかったって、人間の心理的な本質を見ていたところか・・・。それとも賢妻と言われた元姫に人の心のあり方を見抜く方法を見たのか・・・。まぁ色々理由はあるでしょうが、自分に取り入ってくる者の使い方がまぁ上手い。そして調子に乗らせておいて揚げ足を取るのもまぁ上手い。



賈充や鍾会なんかはいい例かもしれませんね。諸葛誕のような本質的に真面目一点張りみたいな、漢室復興を真面目に夢見る人間は元々馬が合わなかったところもあるかもしれませんが・・・。



陳寿もいくつか司馬家の悪行を記さずに隠しておく作業をしていたみたいです。なので「正史」だからといって全てが信じられるわけではないのです。ただし、三国志に関する当時の歴史書の類は様々ありますが、そのどれもかなり偏りが見られるものばかり。つまり、一番信憑性が高いのは正史にならざるを得ないということでしょう。


それに、正史は註もしっかり付しているのでそれだけに信憑性が高いのだと思います。



そして最終的に裴松之があらゆる当時の文献を精査して新たな註を付した形で三国志の歴史はまとめられます。


何が真実なのか。あの国には結局真実等ありません。自分たちの正当性さえ示せれば何でもいいという感覚が今でも残っているのでしょう。


あの国の歴史を偽っても何とも思わない精神は、最早あの国が生まれたその時からすでに始まっていたのかもしれません。


なんてことを最近ふと考えました。


大分更新が遅れましたが、何故か記事を書く画面に行けなくて書くに書けませんでした。これからまたなるべく毎日更新出来るように頑張ろうと思います。