正史と演義

現在、正史を元にして書かれている小説で、前回も紹介しました宮城谷氏の『三国志』を読む一方、最近演義の訳本を読み始めました。

それは他でもなく、2つの差異がどれだけのものかを自分の目で確かめるためです。同じ小説でも当然色々ありますが、実際に読んでみるとその違いというか、書き方というか・・・。それが全然違う、違いすぎて唖然とします。



何が正しいとか何が間違っているとかっていう考えを抜きにして言うと、羅貫中曹魏に対する悪意とまではいかなくとも皮肉的(?)な見方がいかにすごいかがが一目瞭然です。よっぽど彼は曹魏を悪い集団にしたいらしい。


序盤を読んだだけでも結構なものでした。まぁここではあまり深くは触れません。まだ序盤ぐらいしか読んでないし、読んだとは言え目的の人物が関係ないところは全て流し読みしてる程度ですし。


でも流し読みしてても目についてしまう表現とかってありますよね。恐らく彼もそれを目的に会えてそういう表現をしたりしていたのかもしれませんが・・・。


ただ、このような内容のものが世間で歴史と認識されていたことを思うと何だか複雑な気持ちになります。



一般の市民なんかはそんな当時の書物のような価値あるものは到底手に入れられるはずもありませんからそれだけに手軽に手に入るこの三国志演義はきっと当時の人々からは本当の歴史なんだと信じられてた可能性だって否めない。


元々私は演義の話は好きではなかったので横山三国志とかは読みましたが、好きにはなりきれなかった覚えはあります。


私も一度三国志で小説を書いたことがありますが、その時は完全、というかほぼ正史も演義も無視したような想像八割で書いてました。次に書くときは正史に沿って書くつもりではありますが、演技に沿った内容というのは一生触れないだろうと思います。


そういえば、李典さんと楽進について、二人はセットでよく捉えられるコンビですが、完全演技の影響のようですね、正史だと仲悪いって言われてるけど、でもどこから仲が悪いのかはよくわからない。合肥の戦いの時に馬が合わなかっただけとかっていうオチなのかな・・・。


とりあえず、二人の扱いに冠しても複雑な事情があるようですね。多分単純に同じ時期に参入したからっていうのだろうけども・・・。

一見あまり故郷などにおける共通点が見えない様に見えても、張遼関羽の関係のように、演技になるとセットで用いられることが多々あると思います。正直そのあたりの意図も大変気になる。


少なくとも、楽進と李典については同郷であるわけでも何でもないですが、出てくるときは九割ぐら一緒に出てきます。多分、二人に関して言えば、曹操様の幕下に加わる時期が偶々一緒だったのを使われたって考えて問題ないと思うけど・・・。


張遼さんと関羽とかはなぜでしょうね。性格的な問題になるんでしょうか。二人共義理堅い律儀な性格をしていますからね。謙虚さの面で見たら正反対ですけど・・・。(笑)


まぁ何だかんだ、まだまだ問題視すべき点は山ほどありますし、考察の余地が大いに残っている部分も多いことは確かですね。ここからさらに深い研究がされていけばいいと思いますし、自分でも色々調べて考察していきたいなってとこです。