劉備の本当の姿

皆様、あけましておめでとうございます。

岐阜の片田舎は雪が降り積もっています。去年は全然だったのに今年はすごいです。


私も遊んでばかりは居れませんが、現状の割にヒマそうにしています(笑)


ところで、今日はきました、三國志演義の主人公的な感じの劉備殿に関して、私の思う範囲でお話させていただきます。劉備孫権も、私は全然詳しくないので基本的な要素でのみ書かせていただいております。曹操様もまだまだ知らないことだらけですが・・・。


劉備といえばですね、仁徳の人っていうイメージですね、はい。それはその通りでありまして、彼の一番の魅力は何かと言ったらまさにその「紱」であります。彼は先日も書いたとおり、人との関わりに打算を要さないのが魅力の一つですよね、曹操様とは大きく違います。


しかし、彼は草履売りをしていた貧困の家庭であったっていうのが実情ですが、それにしても顔が広い。色んな人と知り合ってましたよね。盧植や公孫讚といった将と同じ門に入っていたりしてました。盧植は先生だったかな・・・?


そういうわけで、なかなか学問の教養はあったんですが、性格や品行は演義に出てくるような温厚なもんじゃないです。これは恐らく間違いないかな。蒼天航路劉備とかは核心を突いた描き方してて私は好きでした。でもそれ以外の劉備の書き方には違和感しかないので好感なんて持てません。


劉備の本来の良さはあの兄貴肌的な部分であると思うのです。ちょっとばかし素行が荒々しいぐらいが劉備らしくて好感もてますよ、個人的に。何でわざわざあんな面倒な小細工をしたのか・・・羅貫中に聞いてみたいものです。無理ですが・・・。


演義に於いては劉備の起こした悪い素行がほぼ張飛のやったことにすり替わっていて、まるで張飛は普段から荒くれ者だったみたいな書き方されてるイメージが個人的にはあるのですが、寧ろ張飛って普段はすごく面倒見が良くて慕われるんです。ただ酒が入ると・・・・ね?

どこかで聞いたような状況ですよ。まさにそれを利用されてしまったパターンですよね。


そしてですね、劉備はとっても仁君で素晴らしい!って思って騙されることなかれ。彼はすごい。彼に欠けていたもの、それは「君主らしさ」というやつです。感情的になりやすいことは人の上に立つものとしてあるまじき行為。誰もがその経験を超えているのは事実です。曹操様も感情が先走って大変な失態を犯すこともやはりありました。孫権もそうですよね。まぁ彼の場合は事情が少し違う気もしますが・・・。


まぁそんなこんなで、劉備に決定的に足りていなかったのは合理的感性だと思います。人を見る目もあったし、処世術も心得ていたし、人の心を自然と掴み取ることが出来る天性の才能もありました。しかし何故最期、あのようなことになってしまったのかと考えると、やはり感覚的感性が先走った結果ですね。それだけが致命的だった。


無論、感情的になることは悪くないです。そりゃ義理でもなんでも兄弟や家族が殺されたら誰でもそうなるもの。


でも、曹操様は失敗から確実に学び取るものがあったけれども劉備はその冷静さや客観的視点が少し足りなかった気もします。


簡単に劉備の話を今回はしてきましたが、劉備は人材としてはとても優秀で、人から愛されるタイプの人間なのに、もっと重要なところでボロが出てしまった残念な人物だったとも言えます。それは、「君主としての才」というべきでしょうか・・・。

くれぐれも皆様は演義風の「誰にでも優しい〜、劉備」という美しき劉備像を信じすぎませんよう、注意を促しておく(笑)

以上君主三名、リレーのように書いて参りましたが、少しでも皆様が色々な考えを持ってくださったら良いかなってところです。そして、三國志に興味を持って下さる同志が、少しでも増えて下さることを祈りつつ、本日のブログを締めさせていただきます。